父親はどこに行った?『アニマル・キングダム』

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有楽町にて。タランティーノが2010年のベスト3に選んだという宣伝文句につられて観てきた。オーストラリア産のクライムドラマということで、普段よく観るアメリカ映画と違って血でドロドロしていない乾いた画面が印象的だった。

 

主人公の青年はジョシュアは、母の死により行き場を失い祖母の家に引き取られることに。だがそこは犯罪でしか生きていくことができない家族たちの住処だった。麻薬取引の仲介で生計を立てる次男のクレイグ、兄たちを手伝う三男ダレン、ポープ(皇帝)と呼ばれ一家の厄介者でもある長男アンドリュー、そして彼ら子供たちの犯罪を黙認し彼らを異常なまでの愛情でつなぎとめる母親のジャニーン。

普通の高校生であるジョシュアも次第に彼らの犯罪に巻き込まれていく。まだ若い彼にできることといえば、ただ環境に適応するということくらいしかないのだ。映画は彼ら家族を、ジョシュアの不安を反映しているかのように最近よくあるゆらゆらと揺れるカメラで映し出す。

 

ホームドラマといえば昨年話題になった『家政婦のミタ』を思い出す。このドラマもまた母親の死からはじまり、崩壊しつつある家族を描いていた。中でも印象的だったのは父親と呼ぶにはあまりにも頼りない父親の存在だ。

規範を教え、理想を示し、子供に社会性をもたせるという父親の役割が弱い家族は、母親の死によってついにその共同体を維持できなくなってしまう。そこに家政婦としてやってきた三田が、環境の維持者としての母親の役割を担当しつつ、主人の命令ならば何でもこなすという形で父親と母親の役割を行き来する。そうして父親の浮気によって父性と母性が断裂してしまった家族をミタが修復していく、というのがこのドラマの骨子だ。(たぶん。実は1話目しか観ていないけど)

 

『アニマル・キングダム』はあるひとつの異常な家族の姿を描いた作品ではあるが、その異常性はむしろ描かれていない部分からやってきている。つまり父親の不在だ。この映画では不思議なことに、父親のことについて全く言及されない。

ジョシュアの母との関係は映画の冒頭で簡潔に明示されているものの、そもそも父がなぜいないのかについては映画の最後まで語られることはない。また引き取られた先の祖母の家でも、家長として君臨する祖母と、彼女の子供であるジョシュアの叔父たちとの関係は何度も描かれるのに、彼らの父親がなぜいないのかは全く語られない。はたして死んだのか出ていったのか。

 

そこにあるのは父性が欠如し母性が暴走した共同体のアンバランスな姿だ。善悪を区別し、子供たちに指導するべき父親のいない叔父たちはそれぞれ犯罪に手を染め、警察に目を付けられてしまっている。祖母はそんな叔父たちの犯罪を黙認している。なぜなら善悪を区別することなく、すべてを受け入れることこそ母親の役割だからだ。そんなやりたい放題の彼ら家族に対して”規範”の代表である警察が介入しようとするのは当然の成り行きだろう。

家族は警察の執拗な追い込みによって徐々に破滅に向かっていく。そして凄腕の巡査部長ネイサン・リッキー率いる特別捜査班はジョシュアを取り込み、一家を一網打尽にしてしまおうと画策する。ジョシュアが裏切るのではないかと疑った祖母ジャニーンは、証人保護プログラムによって匿われていたジョシュアを、警察の内通者を通じて追い詰める。

 

ここまで環境に身をゆだね、何をしたらいいのかもわからずただ怯えて暮らしていた主人公ジョシュアだったが、ネイサン・リッキー巡査部長と出会い、初めて自分の意思で行動し反撃へと転じる。ネイサンこそジョシュアがいままで失っていたけれども、その欠如を意識することがなく、無意識に求めていた父親だったのだ。そしてジョシュアの行動によって、映画は衝撃的な結末を迎える。

 

犯罪×家族というテーマといえば『ゴッド・ファーザー』という名作があった。あれは行き過ぎた父性の凶暴さを描いた物語であったが、行き過ぎた母性の凶暴さを描いた本作はゴッド・マザーとでも呼ぶべきか。 

『中・高生のための現代美術入門 ●▲■の美しさって何?』

現代美術入門とあるけれど、副題に「●▲■の美しさって何?」とあるように抽象画について扱っている。なのでデュシャンとかウォーホルは出てきません。

抽象画とはなにかというとまた話がややこしくなってくるのだけど、簡単にいえば自然とか人物とかりんごとかそういう具体的なかたちをもたないものを描いた絵画のこと。

風景や人物や神話の中の出来事を扱った絵は、その歴史的な背景や、画家についての知識なんかがなくても、綺麗だなあとか迫力があるなあとかとりあえず楽しむことはできる。でも正方形だけが描かれた絵、一見すると何が描かれているのかわからない絵、黒一色が塗りたくられた絵なんかを見ても、ああ正方形が描いてあるなあとかそんな感想しかもてなくて面食らってしまう。ではどうすればそういう絵を楽しめるようになるか。著者は知識の必要性を訴える。

数学の公式が勉強しなくてはわからないように、絵画についても勉強しなければならないと。それはただみて自分なりにいいとか悪いとか感じればいいんだという風潮を暗に否定もしている。もちろん純粋に知識なしで見ることが悪いと言っているわけではないが、ただなんの知識もなく鑑賞してもせっかく鋭い感性を持っていても、言葉にできなくて結局ああ四角が描いてあるなあという感想しか出てこないのではせっかくの貴重な体験がつまらないものになってしまう。

 

本書では抽象画を代表するカンディンスキーモンドリアンマレーヴィチの3人、そしてその後のアメリカの画家たちを取り上げてその本質に迫っていく。

絵画に無秩序をもたらしたカンディンスキー、そこに秩序をもたらしたモンドリアン、そしてそこからさらに無駄を省き絵画を哲学まで高めようとしたマレーヴィチ。この3人がどのようにしてそういった絵画を描くにいたったのかそれぞれの足取りを順番にたどっていくうちに、だんだんと抽象画の見方がわかってくるという仕掛けだ。 

 

タイトルでもわかるように、もともと子供向けにポプラ社から出版された本だけあって非常にわかりやすい。あとがきに描いてあったが、編集者に「優れた児童書ほど大人が読むものですよ」と説得されて平凡社ライブラリーとして再刊されたそうだ。長年広く読まれている名著。 

 

中・高生のための現代美術入門 ●▲■の美しさって何? (平凡社ライブラリー)
本江 邦夫
平凡社
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